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私的感想:本/映画

映画や本の感想の個人的備忘録。ネタばれあり。

『アサッテの人』 諏訪哲史

2007-08-22 20:12:31 | 小説(国内男性作家)

「ポンパ!」を始め、謎の言葉で周りの人間を困惑させていた叔父がある日、失踪してしまう。歳の近い彼の甥の「私」は叔父が残した日記や過去の聞き語りを元に、謎の言葉を発した理由を解き明かしていく。
これがデビュー作でもある諏訪哲史の作品。第137回芥川賞受賞作。
出版社:講談社


小説内で日記や、過去に書いた小説を引用することで、唐突に変な言葉を発する叔父さんの行動を分析するという凝ったスタイルをとっている。メタ構造とでも言うべきであろうか。
そのような構造を用い小説を書くことで、書き手と叔父さんとの間に客観的な距離が生まれている様が、なかなかに巧妙である。またその構成により、叔父さんが謎の言葉を発するに至った理由が少しずつ暴かれていく過程も刺激的だ。

叔父さんが抱えている問題は他者とのコミュニケーションの難しさだ。特に「定型」に対する叔父さんの違和感が僕としては心に残った。
世の中というものは大概、種々の「定型」を前提として成り立っている。言うなれば世界そのものが「定型」の集積とも言えるのだ。
だが必ずしもすべての人間がうまく「定型」にはまることができるとは限らない。その型にはまることができない者の苦悩が「ポンパ!」を始めとした言葉の中に見て取ることができる。

個人的には「チューリップ男」の章がもっともすばらしく、使い方も秀逸だ、と思った。
世の中とうまく折り合いをつけてやっていくことができる人間でも、人が見ていないところでは非常識としか見えない行動を取ってみたくなるものだ。そういう気持ちは多分程度の大小はあれ、誰にでもあるだろう。それはある意味「定型」に対する反逆なのだ。
しかし多くの人間は「定型」から逸脱することを願い、個人的な行為で逸脱を試みることがあっても、最後は「定型」の側に帰ってくるものだ。
その象徴こそ紛れもなく「チューリップ男」なのだろう。

だが一方の叔父さんはまじめなためか、そのような賢しらな行動はどうしても取れない。叔父さんはあくまで「定型」を忌避し続けることでしか、世界と対峙することはできなかったということだろう。
だが、そんな「定型」からの逸脱を目指し、「アサッテ」へと進んだ叔父さんも、その「アセッテ」自体が「定型」に堕してしまうという事実に気付かざるをえなくなる。完全に叔父さんにとっては袋小路に迷い込んだようなものだ。
その姿が何とも物悲しく悲劇的で、切ない余韻に溢れていたのは見事だ。

少し奇妙な人間をこうも分析的に、そして巧緻に築き上げたことは注目に値するだろう。切なさの残る読後感も含めて印象の良い作品であった。

評価:★★★★(満点は★★★★★)


そのほかの芥川賞受賞作品感想
 第128回 大道珠貴『しょっぱいドライブ』
 第134回 絲山秋子『沖で待つ』
 第135回 伊藤たかみ『八月の路上に捨てる』
 第136回 青山七恵『ひとり日和』


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